ままとーん10周年記念パーティ報告

今年、ままとーんは設立10周年を迎えました。
11月3日のいいお産の日に創刊し、
ママの秋祭りを開催したので、10周年記念パーティは11月だなあ、と
みんなで相談して、11月1日に開催することになりました。

ご来場いただいたのは総勢60名。
現役スタッフ&OGが半分、お世話になったご招待のお客様が半分というところでした。
お忙しいなか、お集まりくださったみなさま、本当にありがとうございました。
また、当日用事があって参加できなかったけど、祝電やメッセージをくださったみなさまにも感謝申し上げます。

みんなでお祝いしてくださって、
とっても嬉しかったです。
なんだかこれまでいろいろあったけど、
大勢の人に支えてもらったなあという実感が込み上げて来ました。

平塚さんの原点は、自分で感じた「不安」「不便」などを一人で悩まずに、それをみんなで解決したことだと思います。

そこにまた、「不」を持っている人が集まり、またそれを解決し、それの繰り返しで、雪だるま式に仲間が増え、取り組むことが増え、解決できる事が増えていったのだと思います。

とある友人がそんな風にコメントくださったのですが、ホントみんなが賛同してくれてこそのままとーんでした。

こんな素敵な友人ができたのも、
市長と直接お話しできたり、県の担当課の方といろいろ施策について語り合えるようになったのも、みんな「ままとーん」をやってたおかげです。
私自身、ままとーんにはすごく感謝してます。
とにかくものすごくいろんな経験ができました。学びも多かったです。

ビジネスもNPOも結局
行動してなんぼだと思います。
行動して、失敗したり成功したりしながら、
いろんなことが少しずつわかってくるし、
良くなっていくんだなーと思います。

これからも
ますますままとーんをよろしくお願いします!

本当に昨日はハッピーでした~。

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▲つくば市長に挨拶をいただく  ▲ままとーん近況クイズ

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ままとーん誕生物語その5

さて、それからは実行あるのみ。光畑さんの方では、MO-HOUSEに集まるお母さんたちに声をかけてもらい、私は私で幼稚園や乳幼児学級の知り合いに声をかけ、それぞれが本の取材やアンケート依頼に当たることにしました。

創刊号のテーマは、当然「つくば妊娠・出産事情」。
光畑氏は当時『REBORN(優しいお産をめざす出産情報紙)』*に、かなり影響を受けていました。で、アンケート内容を作成し、つくば市内の産院からの情報を集める際、産院側の情報だけでなく、実際にその産院で出産したママたちの生の声を掲載しようと、特集を企画することになりました。みんなで分担して知り合いのママたちにアンケートを依頼、その後、回収、入力作業が始まりました。

海のものとも山のものとも分からない団体からいきなりのアンケート依頼。当時はさぞかし面食らった方もたくさんいらしたでしょう。アンケートに回答いただいた皆様には感謝感謝です。結局、総合病院から助産院まで、合計16か所、お産ができるところをクチコミ情報とともにご紹介することが出来ました。

さらに育児サークル情報、おけいこごと情報、子どもとお出かけ、食情報と、山形での経験を活かして、子連れママの興味のある分野を草の根ネットワークから情報収集し、現役ママならではの目線で編集しました。

活動は初夏くらいからぼちぼちとスタートし、徐々に加速、それでも最初に光畑チームと平塚チームが顔合わせしたのが、確か9月の始めごろでした。公民館の会議室に集まって、本のタイトルを決め、改めて趣旨を説明させてもらいました。

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本の名前は、ママたちが音楽を奏でるように、楽しく子育てしたいね!という思いを込めて『ままと~ん♪』としました。

みんなで本のタイトルを口ぐちに言い合いながら考えているときに、偶然組み合わせの語呂が良くて、「これでいこう!」と決まったので、誰が発案者だったのかは覚えていません。※みんな、自分が思いついたって思えているところがかえって良いと思ってますbleah

結構みんなが気に入って、ひらがなで『ままと~ん♪』に決定しました。

その後、川崎市の子育て支援情報誌『ままとんきっず』さんと名前が似ている!と何度か言われてしまい…。coldsweats01 でも真似したわけじゃないんですよ~。

まだまだ人手が欲しく、メンバー募集にこんなチラシを作って、口コミでリクルートしてました。なんとも懐かしい限りです… catface 若い…

同時に、重要な収入源となる広告の方も、お願いに走りまわりました。おもに、自分たち子連れママが他のママ友にぜひ推薦したい!というお店に出向いて、出稿を依頼。このころの広告費は確か、1枠(A4サイズの4分の1)15,000円くらいだったと思います。2,000部を予定していたので、結構リーズナブルですね。

実は私、新卒でスターツ出版株式会社に就職、当時、コミュニティ事業部に配属され、『マイカサイ』*という、東西線の葛西駅のコミュニティペーパーの広告営業を担当しました。そこで培った営業スキルと広告料金の相場の勘を活かして、ままとーんに応用した、というわけです。
*今でも『アエルデ葛西』として残っています~。

赤ちゃん抱っこで広告営業…。こちらもさぞお店の方はびっくりされたと思います。11件のお店や会社が広告を出してくださいました。本当に感謝です!

実際、みなさんにとっては全く知らない雑誌なわけですから、広告が取れなくても仕方がないと思っていました。

でも、当時、一番おもしろがって力を貸してくれた仲間の旦那様が筑波西武の販売促進課の課長さんでいらしたこともあり、創刊号の裏表紙が筑波西武に決定した時は、本当にうれしかったです。

※ちなみにこの課長さんは今では楽天の球団代表をしています。いやー、世の中本当におもしろいですね!

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ままとーん誕生物語その4

地域密着型の現役ママがつくる子育て情報誌」を作ろう!

ということは決めたものの、ひとつ困ったことがありました。というのも、山形で作った時は自分の子どもが「おっぱいオムツ」ちゃんだったのですが、今はもう卒業、3歳になっていたのです。

「子育て情報誌」のメインの読者は「第一子が幼稚園に入る前の子どもを持つママ」。そこで、「おっぱいオムツ」の子どもがいるママの視点で地域の情報を編集することが必要不可欠なのです。

うちの長男クンは市内の私立幼稚園に入っていたので、幼稚園の子どもを持つママたちとは知りあうことができました。が、乳児を持つママたちとはなかなか出会う機会がありません。しかも転勤してきたばかりとあっては、難しい・・・。

つくばの「いいところ探し」をしつつ、ちょっとずつ知り合いも増えて、それなりに楽しい毎日。実は、つくばがすぐに気に入ってしまい、引っ越してから2か月目にして家を購入することに決定し、準備やら、引っ越しやらで忙しく、気がつけばつくばへ来てからあっという間に1年が過ぎてしまいました。

一方、出版計画は依然あきらめておらず、折に触れて一緒にやってくれる人を募っていたのですが、なかなか盛り上がってくれる人を見つけることができていませんでした。

ちょうどそんな折、生協の班が一緒だった知り合いが「平塚さん、何かやろうとしているなら、ちょっとおもしろい人がいるよ。今度、紹介してあげる」と申し出てくれたのです。
その人がMO-HOUSE主宰の光畑由佳さんだったんです。

光畑さんに初めてあったのは、確かちょうど記念すべき1回目か2回目くらいのオープンハウスの日。99年の今頃の時期だったと記憶しています。
※自宅を開放して、授乳服の試着販売を行う、というプチイベントがオープンハウスです。

光畑さんちは今では中学の美術の教科書に掲載されているくらい有名な建築家の建てたおうちで、とっても変わっている間取り&外観です。でも、とても居心地がよく、普段からちょっとした授乳中のママたちのサロンのようになっていました。
※MO-HOUSEの由来も彼女の自宅である「毛深い家」(テーマなんだそうです)から「毛=もう」、MO-HOUSEとなったらしい。最初はてっきり「授乳」ということで牛の「も~」なんだと勘違いしてましたが。

つまり、光畑さんの周りにはいつも「おっぱいオムツ」のママたちがいるわけです。
しかも、光畑さんは編集経験あり、これから授乳服をママたちに販売していくというお仕事もあり、まさに地域の子育て情報誌を一緒に作っていくにはぴったり!(←とまあ、私が勝手にそう考えたわけですが・・・)

そこで、光畑さんに「一緒に作りましょう~!」とラブコールしたわけです。
が、そう簡単にOKが出ることはなく・・・。私はその後、毎日のように光畑さんのお宅へ押しかけ、背後霊のように?「やろうよ~」「やろうよ~」とささやき続けたのでした。

結局1か月はかからなかったと思います。私が本を出したことがあるから、発行人として広告営業や本の出版に関わるもろもろの厄介事を引き受けるから、光畑さんは周囲の子育て現役ママたちに声をかけてもらい、編集を担当する編集長。そんな役割分担が決まり、ようやく本作りに向けて具体的に始動することになったのでした。

その後、光畑氏を紹介してくれた知人は「まさかこんなことになるとは・・・」と私を光畑さんを紹介したことを申し訳なく思っていたようで、しきりに光畑さんに謝ってました・・。sweat01

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ままとーん誕生物語その3

そんなこんなでつくばに来て、約半年が過ぎる頃から、ちょっとずつ自分を取り戻せてきたわけです。

これまで転勤&引越を15回以上繰り返してきた私の、新しい土地と早くなじむおススメの方法。引っ越してきたばかりの頃って、人もお店も道路もみんな知らないよそゆきの顔に感じられますよね。だから、なんとなく自分が浮いちゃっている気がします。そこで、まずは、自分のお気に入りの場所を決めてしまうんです。

公園でもお店でも、ここ素敵♪と気に入った場所を何度も訪れて、自分にとって、おなじみの場所にしてしまうんです。
※私の場合、松見公園と友朋堂吾妻本店でした。パンならモルゲン♪ケーキはシーゲル。ピーターパンもそっけないけど、結構お気に入りでした。

友達も同じ。この人と気が合うな、と思ったら、会う回数を増やす。もちろんこちらは相手のあることですから、自分の都合に振り回すのはいけませんが、迷惑をかけない程度に様子をうかがいながらcoldsweats01、仲良しになる。

私の場合、まず自分情報を公開して、考え方とか、わかってもらった上で、付き合える友達がほしいタイプ。欠点も含め、まるごと受け止めてほしい、という気持ちが強いですねぇ。

なので、とある日、ご近所さんのこんな立ち話に強烈にショックを受けました。

Bさん 「ねえ、Aさんって最近見かけないけど、どうしたの?」
Cさん 「あら、Aさんは先月転勤で引っ越されたわよ。」
Bさん 「ふーん、そうだったの。」

ええええ~?引っ越したのを知らなかったの?みんな、あんなに仲良くしているように見えたのに・・・?あー、これが社宅とか官舎での人付き合い術なのかなぁ・・・?

この一件で、親切な近所の顔見知りさんだけでなく、もっと私自身をわかってくれる友達、山形の時のように同じ価値観を持ちっていて一緒に何かをやり遂げられる仲間の存在が、心から欲しい!と思うようになったのでした。

そのためには、まず「この指とまれ」です。
自分が何をしたいのか、わかっている必要があります。そして何をやるか決めて、周囲に一緒にこれをやってみない?と、働きかけなければ。。。

何をやろうかな。やっぱり、山形の経験を生かして、毎年数百世帯が転勤、引っ越しする土地柄なんだから、「地域密着型の現役ママがつくる子育て情報誌」かな~。。。

やってもいいいよ!という当事者さえ集まれば、後は簡単、と感じていました。なにしろ山形では本当に簡単にできちゃったので・・・。
でも、一緒に面白がって取り組んでくれる人を見つけることが一番大変なんですよね。

山形では、自分の知り合いという知り合いほぼ全員に「一緒に作らない?」と声をかけたのですが、「子どもが小さいから無理」「文章書けないから無理」「そんな時間ないから」等々、例外なく断られ、結局一人で原稿を書くことになりました。調査に協力してくれた友人がいたので、巻末に市内の公園の遊具、日陰の有無の一覧表を掲載することができたのですが、ほぼ一人で企画編集しました。

ところが本が出て、クチコミで広まると、ある日こんなアツイ電話がかかってきたのです。

「『子連れで楽しい近場おでかけスポット』を出された平塚さんですか?」
「はい、そうです」
「あの、私、Sと申します・・・」
「はい?」
「あの、あの、・・・やられたって感じですっ!!私も、こういう本を前から作りたいと思っていたんですっ!!」
「え!?ホント!じゃあ、次、一緒に作りませんか?!」

「この指とまれ」に、とまってもらえた瞬間で、それからは本当に楽しかったです。彼女が連絡をくれたおかげで一気に広がっていきました。
※Sさんは当時の我が家のすぐ近所に住んでいて、顔を知っていても不思議じゃないというくらいだったことに、またびっくりしました。でもって、今春、彼女の娘さんが筑波大学に入学されたそうで、浅からぬご縁を感じますね~。

この経験から、まずは自分から発信することが大事、とわかっていました。そこで、次は何を誰に発信していこうかな~、です。

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ままとーん誕生物語その2

鬱々していてもはじまらない、とようやく行動を開始。
なにしろ当時は車が一台しかなく、私はどこへいくにも2歳の娘を連れて自転車でdash

まず、情報収集に行くところといえば、「公民館」。
公民館ではいろんな団体が登録していて、多種多様な催し物をやってるんですよ。参加費が無料か低価格なのも魅力なんです。児童館や生涯学習センターもオススメです。つくば市の場合はこちらに一覧あります。

※今なら、情報収集に行くなら断然子育て支援センターでしょうね。それにインターネットでもつくばは子育て情報支援システムが充実しています。でも、当時はまだこんな便利なものはまったくなかったんですよ~。

幸い公民館はあちこちにあり、私が行ったのは「吾妻公民館」。センタービルの中です。
ここで見つけたのが「麗(うらら)の会」!控え目なポスターが貼ってあり、内容は「子育て中でも、ママ自身の関心のあることをやりましょう」というような趣旨で、メンバー募集と書いてありました。

さっそく代表の方に連絡を取ると、「え”?まだあのポスター貼ってあったの?」という反応…。coldsweats02 どうもとっくにメンバー募集は終わっていたらしい。

でも「良かったらいらしてくださいね♪」と優しく誘っていただき、すぐに参加してみました。
メンバーは15名くらい。会費にプラスして茨城生協さんの団体補助も受けて、活動していました。今もこの補助制度はあるようですね。

「麗の会」のみなさんは、つくば市そして土浦市在住の方が中心で、交代で企画を立てて活動していました。会の名称通り、みんな、上品で素敵な方々。仲間に入れてもらえてとってもハッピーだったことを覚えています。heart02

※この代表の方は今ではこんな活動をしてるんですよshine
 今の自分を少し変えてみたいな、という方、ちょっと凹んでる方、彼女のオーラソーマ、本当におススメですよ。

私の入会とほぼ同時期に、ご主人さまの転勤でつくばを去ってしまわれたのですが、後に子育て支援業界では超有名人となった、かの「特定非営利活動法人わははネット」代表の中橋恵美子さんも、この「麗の会」のメンバーだったんですよ。

その後ままとーんを立ち上げた際も「麗の会」のメンバーさんからもご参加いただき、ほんと小さいながらも力のある方がそろっていた会でした。

こうして「麗の会」に参加したり、長男を幼稚園に入れて、広報委員となったり、生協に入って顔見知りが増えたり、と徐々に私につくばライフも充実してきたのでした。

※生協って今では戸別配達(個配)も当たり前ですが、当時はまだグループでの共同購入のみ。それがかえって知り合いを作るにはプラスだったかな、なんて思います。

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ままとーん誕生物語その1

私たち家族がつくばに転勤したのは、今から11年前の1998年のことでした。
当時、山形市から、つくばエキスポセンターの裏側、吾妻3丁目に引っ越ししました。

一番最初の私のつくばのイメージといえば、
「緑が多くてキレイな街。でも、ちょっと人工的で冷たい感じ」・・・
でした。

あまりにも整備されていて、道路も広くて・・・。
なんていうか”造られた街だな”っていう印象だったんですよね・・・。

でも幸い周囲は転勤族が多く、「何かわからないことがあれば、聞いてねnote」という親切な近所の人たちがいて、内心ホッとしました。

実はそれまでの山形での生活は、本当に多忙でした。
1997年に『近場で楽しいおでかけスポット』という手書きの、子連れで楽しめる地域遊び場情報を集めた冊子を出版したことがきっかけとなって、「私もこういう本を作りたい!」というママたちと知り合うことになり、今度はみんなで一緒に子育て総合情報誌を作ってみよう!と、地元の出版社と組んで創刊号を出版したばかりでした。

創刊号の反響はまずまずでしたし、編集長としてちょうど2冊目をスタートさせようか、という時期。なにより、「これ面白そうじゃない?」と言えば、「うんうん、やってみようよ!」という反応が返ってくる仲間ができたことが一番嬉しかったんですよね。
一人ではできないけど、みんながいればできる、を初めて実感しました。

山形も5年目だし、・・・そろそろ転勤、ということはあらかじめわかっていました。だから覚悟はしていたつもりだったし、やることがたくさんあって、毎日が本当にあっという間、家族のためになかなかゆっくり時間が割けないという毎日だったので、転勤があれば、かえって生活をリセットできていいのかもしれない、などと考えていました。

「きっとつくばでは、のんびり子育てを楽しめる。今まで忙しかったから、ゆっくりしよ・・・」。そう考えていたのに、実際にそうなったらもう、退屈で退屈で。
それにあれこれ本音で話せる友達がいないことに、もうストレスが溜まりまくり・・・。

することがないので、やけくそで?毎日コーヒーをがぶ飲みしていたところ(汗;)、ある日急性胃炎になり、深夜メディカルに駆け込むことに・・・。

「あー・・・、これじゃいけない」、と思いました。

私にとって、今回の転勤っていうのは、
寒い冬、冷たい布団にもぐりこんで、一生懸命自分の体温で布団を暖めて、居心地の良い空間を作ったところを、急に誰かに「ずぼっ!」って引き抜かれて、また冷たい布団に入れられた・・・、まさに、そんな感じでした。

実は子どもの頃から転勤族だったんです。小学校は二回、中学でも一回転校してます。結婚してからも転居を四回してました。だから自分は大丈夫、と思ってました。

でも子どもを連れての転勤は初めて。今までになく、想像以上に、自分の気持ちがついていかなかった。ちょっと我ながらびっくりするほど、寂しい気持ちやむなしい気持ちでいっぱいになってしまい、毎日山形の友達にメールしては、しくしく泣いてました。

当時、つくばのママたちは自分のやりたいことをしっかり持っていて、みーんなキラキラと輝いて見えました。(もちろん、今でもそういうママたちをたくさん知ってますが~)

自分が取り残された気持ちになって、焦ってましたね・・・。今思うと、相当凹んでました。coldsweats01

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ままとーん10周年

今年はままとーんを設立して、10周年という記念すべき年です。Logo_01y_3
1999年11月3日(いいお産の日)に創刊号を発売。
編集作業がスタートしたのは、99年の春ごろ。
当時、15名くらいのメンバーでした。

OGを中心に10周年記念本を出そう!という話もあるのですが、
どうなるかなぁ・・・。

せっかくなので、ままとーん誕生秘話をあれこれ思い出しながら書くのもおもしろいかな?
ままとーんは、やっぱりつくばにおける私の原点でもあるので、一度まとめるのも良いかも。think

ということで、少し連載してみようと思います。

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